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逃げ場

上手く出来ない奴がもがいて、楽しく生活する為の記録

ありがとう。水谷隼

水谷選手の事を知ったのは、08年、全日本選手権を18歳で連覇した時からでした。天才的なボールタッチや、中陣〜後陣からの凌ぎの技術を見て、それまでの日本人らしい卓球(ペンで動き回ったり、基本的には前に張り付いて戦う)とは全く違っていました。漫画のように動き回り、見ていてワクワクする卓球でした。

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北京五輪の団体戦では、準決勝でドイツと当たり敗戦。水谷自身はダブルスで勝利するも2番で、ボルとのエース対決に敗れました。

2-2のラストでは、ボルと、当時の水谷のダブルスパートナーであった岸川聖也と対戦。分が悪い相手に岸川はフルゲームまで迫ったものの敗れました。

この時から、水谷の、そして日本の『オリンピックのメダル』を目指した長く苦しい道のりが始まりました。

 

09年、全日本三連覇、プロツアー初優勝、横浜で開催された世界選手権で12年ぶりに銅メダルを獲得(男子ダブルス)ランキングトップ10が射程圏内に入りました。

そして、2010年。それまではバックハンドが課題でしたが、得点力が向上し、この年の5月に行われたモスクワでの団体戦では、それまで一度も勝っていないボルに対して初勝利を挙げました。

11月に行われたワールドカップでは、後に世界選手権2連覇、ロンドン五輪金メダリストとなる張継科に対して、2度マッチポイントを握るまで追い詰めた。

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しかし11年、世界選手権準々決勝で、前回覇者の王皓と当たり、ラリー戦に持ち込む事すら出来ずに敗れた。回転量、コース取りなどのレベルが別次元だった。

 

そして12年。ロンドン五輪の年、勝負の年だ。しかし、5連覇中だった全日本選手権の決勝で、高校三年生の吉村真晴選手に敗れ、連覇が止まった。この時は会場で観戦していましたが、水谷は泣いてました。勝ち続けるほどプレッシャーが増していったそうです。

 

その悪い流れを引きずったまま五輪に挑むも、シングルスは4回戦敗退、団体も準々決勝で香港に敗れました。

それまで着実に強くなって世界ランクも5位まで上がってきて、個人的にもメダルを期待してたので正直裏切られた気分になりました。

13年の世界選手権でも初戦敗退と、どん底まで落ちてしまいました。

正直期待はあまりなかったです。もう何度も何度も中国の厚い壁に跳ね返されるのを見ていたから。

そこからの復活劇は、皆さんも知っての通りだと思いますが、今回の試合を見ていて、『もし今回メダル取れなかったら・・・』っていう不安は常にありました。

今までは9-9,や10-10の競り合った場面で弱気になっていましたが、試合が進むにつれ調子が上がってました。特にメダルを取ってからの団体戦は、明らかに試合をしながら強くなってる感じがありました。自信が持てるだけでこんなにも変わるのかとびっくりしました。

 

水谷自身が言うように、女子ばかりが注目されて悔しい思いを僕もしてました。ずっと言いたかったんです。水谷だってやれるぞ。と、

今回のメダル獲得は卓球ファンにとっては、本当に待ちわびたメダルでした。

これからもっともっとメジャーになって、競技人口が増えたら嬉しいですね。

おめでとう。そしてありがとう。水谷隼!